人生とは漂流也。
今日は朝から仕事部屋のお掃除(おもに床)、浴槽の蓋のカビとり、洗濯掃除機と・・・普段気になっているところをお掃除しておりました。
午後からは案の定寝年末でございました。^^;
今日の分のネーム考案が・・・まだできていないのだけど、大丈夫だろうか・・・。
最近よく感じるのですが、人生ってほんと何がおこるかわかりませんね。
子供の頃思い描いていた人生設計とはまったく真反対の方向へ行っている現在。
結婚も子供も、物心ついたときからまったく願望がなく、執着もなく、むしろ自分にはできないものだ縁遠いものだと決めつけていたんですが、有り難いことにその両方の人生を享受できている今があります。
いや、結婚もしてしまい、子供までも持ってしまったら自分の人生の敗北になる・・・とさえ感じておりました。
夢を追いかけている自分にとっては、その幸せを得ることはなんらかの障害になるだろう・・・とずっと思っていたのです。
正負の法則ですかね。
けれど、漫画家として食べてゆくことができないとわかったとき、(5.6年前ちょうどコミックスが全然売れなくて路頭に迷っていたとき)家人に拾われ、たいそう救われた情けない自分がいます。
家人は非常に漫画家という仕事に対して理解がある方なので、これまで本当に助けられてきました。
ネームで気難しくなっているときのあしらい方や、逼迫しているときの家事分担や思いやりはエキスパート化しております。
自分の仕事と結婚生活に関しては、ずいぶんと話し合いがなされてきましたが、堅実で仕事熱心な家人のおかげで、あまり生活の心配はせずに、のうのうと漫画がかけていることには変わりはありません。
ずいぶんと甘ったれた状況ではありますが、わたしはどうやら、私生活が充実したうえで仕事に立ち向かえるタイプのようです。
ひとりでは殺伐としてしまって、絶対漫画は描けなかったと思います。
(もちろん今は実質的には一人作業ですけど)
また、「結婚」は敗北ではないのだなあ・・・
「経験」のひとつだな・・・とここ数年で自分の思考もずいぶんと変化しました。
これは震災の影響も大きいと思います。
人はつながっていないと灯が消えてしまうものなのだと、あのときオロオロと自分のおぼつかない立場に不安感を抱いておりました。
震災によって、「家庭」を持つことの意味を深く学ばされたような気がします。
その「経験」のひとつに、「子育て」というものも今後加わることになるのでしょう。
新しい年がいったいどのように進んでゆくのかはまったくわかりませんが、今は家人という大きく温かな海の上で、たゆらう心地よさを感じつつ、静かに未来のことを考えてゆきたいと思っております。